[横浜F・マリノス インタビュー後編]なぜ横浜F・マリノスなのか? ~プロサッカー選手が重視する“働く”クラブの選定基準~
総合人材サービス会社のランスタッドは、サービスの一つである人材紹介サービスを通して、企業と転職希望者の人材マッチングをサポートしています。
転職活動では、キャリアアップや携わりたい分野を含めた働きがい、年収や福利厚生などの待遇面、職場環境など、それぞれの転職希望者が重視する条件をもとに転職先の候補を一緒に検討していきます。
一方、プロサッカー選手の世界でも他クラブへの移籍はとても身近で、移籍が選手自身の価値を高める手段の一つにもなっています。
一般社会人の転職とプロスポーツ選手の移籍を一括りにすることはできませんが、自身の所属先を選択するという点では重なり合う要素は大いにあるでしょう。
そこで、ランスタッドがオフィシャルパートナー契約を結ぶ横浜F・マリノス選手インタビュー後編では、喜田拓也選手、天野純選手、松原健選手の3人に、『なぜF・マリノスなのか?』をテーマに所属クラブを選定する考え方や価値観、指標についてお伺いしました。(以下、敬称略)
聞き手:大林洋平
「さまざまな条件以上にF・マリノスでプレーする喜びに価値がある」(天野選手)
――皆さん10年以上のプロキャリアを過ごす間、多かれ少なかれ、他クラブから移籍の打診があったと思います。そして、その誘いこそが一流の証でもあります。まずは年長者の天野選手からお伺いしたいのですが、2019年にベルギー、2022年から2年間、韓国への海外移籍を経験された一方、国内の在籍クラブはF・マリノス一筋でもあります。特にコロナ禍の2020年、ベルギーから日本に戻る選択をされた際、どのような基準でF・マリノス復帰を選ばれたのでしょうか。
天野:正直、ヨーロッパでステップアップしたかったのですが、シンプルにそれが叶いませんでした。F・マリノスに「要らない」と言われれば、仕方ありませんが、Jリーグに戻るのであれば、F・マリノスしかないと考えていましたし、必要とされている限りはF・マリノスにいたいとも思っていました。
――クラブを選択する際、環境や待遇などの条件がある中、なぜ「F・マリノスしかない」と思われたのでしょうか。
天野:自分は小さな頃からずっとF・マリノスで育ってきました。F・マリノスの選手に憧れてサッカーを始めたこともあるので、僕にとってF・マリノスでプレーできる以上の幸せはありません。
天野 純(あまの・じゅん)
1991年7月19日生まれ、33歳。神奈川県出身。175cm/67kg。MF。高校まで横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、順天堂大を経て14年に加入。面倒見のいい兄貴分として、試合前日には後輩たちを、ウナギを食べに連れて行くのがルーティン。最近は井上健太にマンマーク気味に慕われ、練習ではグラウンドに一緒に入ってくる頻度が高い。背番号は20。
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――現実的に当時、F・マリノスは毎日、練習場を転々として、練習環境が恵まれていませんでした。プロ選手の価値を測る指標でもある年俸などの条件を比較してもF・マリノスだったのでしょうか。
天野:僕はさまざまな条件よりも、それ以上にF・マリノスでプレーすることに価値があると思っています。F・マリノスでプレーする喜びがあらゆるものを上回るので、そこはあまり気にしていませんでしたね。
松原:でも俺がいるから帰ってきましたよね(笑)
喜田:理由の一つとしてね。
松原:「お前とサッカーやりたかったわ!」ってメッセージくれたじゃないですか。
天野:いや、覚えてないわ(笑)
喜田:結構、純くんはツンデレなところがあるからね。
天野:これは韓国時代の話ですが、健は友達いないから「帰ってきてよ」みたいな感じでメッセージをくれていました。(期限付き移籍先の蔚山現代がリーグ優勝した)22年が終わって帰るつもりだったのですが、全北現代に移籍することになって帰れず、23年が終わった時にも「帰ってきてよ」とめっちゃ言われていたので帰ってきました(笑)
松原:純くんは“帰る帰る”って言うんですが‥‥。蔚山現代でシーズンを終えた時に待っていたのに、結局、全北現代に行きましたからね(笑)
喜田:人間関係も仕事環境を選ぶ一つの要素になりますよね。いい仲間と一緒に働けるのであれば、その環境に行きたいと思うのは立派な理由になり得ると思います。
「いかにやり甲斐を持てるか。価値観が変わったのは2018年」(松原選手)
――続いて2017年に加入されて、在籍8年目となる松原選手にお伺いします。この8年の間には他クラブからの誘いがあった中、F・マリノスへの残留を選択されている理由を教えてください。
松原:やっぱりF・マリノスというチームが好きです。そして、F・マリノスに加入してから自分の中で成長できた部分がすごく大きかったので、まだ成長したいという思いでF・マリノスを選んでいます。シンプルに『F・マリノス』の響きはカッコいいですし、今はF・マリノスのすべてが好きですね。
松原 健(まつばら・けん)
1993年2月16日生まれ、31歳。大分県出身。180cm/77kg。ポジションはDF。11年、大分トリニータユースからトップチームに昇格し、アルビレックス新潟を経て17年に横浜F・マリノスに加入。在籍8年目と“古株”となり、今季から副主将に就任した。無類の車好きで毎年、日産自動車とのコラボCMに出演。今年は日産セレナの魅力を発信している。背番号は27。
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――例えば、年俸はクラブ間で発生する移籍金の基準になるし、プロ選手としての価値を測る指標として切っても切り離せないように思います。それこそキャリア初期は年俸を上げることが自身の価値を高めることに直結するのではないかと思うのですが、キャリアを重ねるごとに価値観の変化はありましたか。
松原:その価値観が変わったのは、F・マリノスのサッカーのスタイルが変わってからです。自分が加入した1年後の2018年にアンジェ・ポステコグルー前監督(現トッテナム監督/イングランド)が就任し、スタイルが180度変わりました。それをやり始めた時に「すごく面白いな」と感じ、アタッキングフットボールの虜の一人になりました。それがここに今いる理由です。
もちろん年俸面でより良い待遇を受けられるのは選手として幸せなことです。ただ、それ以上に楽しいサッカーをやりたい気持ちが強く、僕としてはいかにやり甲斐を持てるかを大事にしています。それを考えた時、「F・マリノスでサッカーをしたい」という選択肢が最初に出てきます。
「僕にとってはF・マリノスに在籍し続けることが最大のチャレンジ」(喜田選手)
――一方、F・マリノスの生え抜きである喜田選手はもしかすると、お誘いがあっても門前払いにされているかもしれませんが、在籍を続けている理由を聞かせてください。
喜田:もう今更、「F・マリノスが好き」という気持ちを隠すことはないのですが、その思いだけで所属できるクラブではありません。クラブから必要とされたり、仲間にとってどのような存在であるかが大切です。僕の場合は今のスタイルのサッカーがしたいという気持ちよりも、F・マリノスで戦いたいという思いが勝っています。
移籍について、環境を変えるチャレンジと捉える選手もいると思いますが、僕にとってはこのクラブに在籍し続けることが最大のチャレンジです。その意味では、色々なモノを乗り越えながら居続けないといけません。そこにやり甲斐があるし、生き甲斐にもなってチャレンジし続けています。これから先、何があるかは誰にも分かりませんが、僕にとって、このクラブが特別なクラブであることは変わりません。
喜田 拓也(きだ・たくや)
1994年8月23日生まれ、30歳。神奈川県出身。170cm/64kg。ポジションはMF。小学生から横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、トップチームに昇格した13年からF・マリノス一筋の“Mr.トリコロール”。19年からは6年連続、主将を担う。長年、後輩として“イジられキャラ”が定着していたが、チーム年長者となってからは、後輩へのイジリが少し強めの傾向がある。背番号は8。
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――喜田選手は珍しいタイプと思うのですが、お2人の目には喜田選手がどのように映りますか。
天野:珍しいタイプってどのような意味ですか?
――一つのクラブに10年以上、在籍し続ける“ワンクラブマン”という意味です。
天野:アカデミーの先輩でもある(栗原)勇蔵くん(現横浜F・マリノスクラブシップ・キャプテン)も“ワンクラブマン”ですが、アカデミーでプロを目指している今の子どもたちのロールモデルというか、いい指標になっていると思います。僕はそれができなかったので、「喜田、頼むわ!」という感じです。
――天野選手も国内ではF・マリノスにしか在籍していません。
天野:僕は韓国へ期限付き移籍した時はF・マリノスに籍を置いていたままでセコかったので…。
喜田:セコくはないでしょ。
天野:“ワンクラブマン”はずっとF・マリノスにいる選手という意味ですし…。
松原:純くんは「セコい」って言うけど、それも実力だからね。しっかりと契約を残して他のクラブに行けるのはチームとして必要とされているだからだよ。
天野:めっちゃフォローしてくれるね(笑)
松原:僕は毎年、首の皮一枚つながっている感じだからね(笑)
――ずっと在籍し続けることも、移籍を選ぶことも、どちらも正解で、正解は一つではないと思います。
松原:キー坊(喜田)のように、これだけチームメートをはじめ、スタッフ、ファン・サポーターを想うことができる選手はなかなかいません。本当に、本当に、スゴイ。こんな熱い男はいません。その意味では特殊ですね。
――これまでのお話をお伺いしていても同じプロ選手でも考え方は多種多様だと感じました。一方、海外移籍を経験された天野選手は海外では“助っ人外国籍選手”の立場でした。異国の地で周りに対して自分の見せ方を変えましたか。
天野:韓国は日本と比べて、外国籍選手に対して、メディアを含めて厳しい見方をされました。そこは結果を残して認めさせるしかなかったので、蔚山現代ではそれを1シーズン通してやり続けました。(※自身キャリアハイとなるリーグ戦年間9得点をマークし、蔚山現代の韓国K1リーグ優勝に大きく貢献した)
そして、韓国2年目に全北現代に移籍し、健も先ほど言っていましたが、やるサッカーのスタイルは大事だなと感じました。蔚山現代の方がサッカー自体は楽しかった。全北現代にはその楽しさ以外の厳しさを求めて移籍したのですが、やり甲斐を優先した方が充実するということが分かりました。そこであらためて「F・マリノスに帰りたい」と思ったし、サッカーのスタイルが大事だとも実感しましたね。
「2018年を境に空気感が変化。絆強まり、一緒に進もうとしてくれている」(喜田選手)
――色々なお話ありがとうございました。皆さんの考え方や価値観は一般の社会人の方も大いに参考になると思います。では、最後に皆さんが感じているF・マリノスのファン・サポーターの雰囲気について教えてください。
天野:蔚山現代も全北現代もいいサポーターでしたが、F・マリノスのファン・サポーターの方々は小さい頃から僕のことを知っているので、親目線のようなアットホームな雰囲気があります。特に今シーズン、帰ってきて新体制発表会の会場だった日産グローバル本社 日産ホールの階段を下りて行く時に「やっぱり特別だな」と感じました。優しいですし、時には厳しさもありますが、常にアットホームな雰囲気を感じていますね。
松原:大分トリニータ時代はあまり試合に絡めず、試合に出ていない中でも温かく応援してくれましたし、アルビレックス新潟はアウェイでも多くの方が来て下さるので、とても力になりました。ただ、F・マリノスのファン・サポーターの方々はそれ以上にアウェイでもホームのような雰囲気を作り出してくれます。
直近ではルヴァンカップ準決勝の名古屋戦は第1戦で情けない負け方をして本来であれば、応援するのをやめようと思われても仕方ないのですが、アウェイの第2戦ではそういったことを感じさせないファン・サポーターの方々の人数を目の当たりにした時は「もっとやらないと!」と思わせてくれます。ファン・サポーターの皆さんあっての僕たちだと思っているので、その気持ちを選手一人一人が感じてプレーをしなければなりません。あの光景は当たり前ではありません。それらを含めて、総じて温かさを感じます。
喜田: F・マリノスのファン・サポーターの空気は変わったと感じています。僕が加入した頃はファン・サポーターの方と選手に少し距離があった印象を受けていました。当時からリスペクトはありましたが、お互いその色がより濃くなったのはアンジェ(・ポステコグルー前監督)が就任した2018年からだと思います。それまでJ1中位をさまよっていた中、サッカーのスタイルをガラリと変えてその年は結果的に残留争いをしたのですが、変わろうとするクラブや選手の姿勢を見て、支えようとシフトしてくれました。ギリギリの残留は本来、F・マリノスではあってはならないのですが、その我慢は必要だと全員が分かっていた中、ある意味、ファン・サポーターの方も腹を括ってくれました。
そこから絆が強まり、一緒に進もうとする絆や空気感を感じ取ることができ、だからこそ翌年のリーグ優勝であったり、それ以降、毎年、優勝争いできるチームに変わることができました。クラブや選手から何かを感じ取ろうとしてくれる姿勢は近年、とても感じます。今年は結果を出せず、情けないことばかりで、合わす顔がないのですが、それでも行動を起こそうとしてくれたり、選手に想いを伝えようとしてくれています。一緒に前に進もうとしてくれる空気感への変化を実感しています。
執筆・編集・構成/大林洋平
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